Imagine

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想像してごらん
天国すら存在しない世界を
簡単なことさ
地獄も存在せず
天には空が広がるばかりで
すべての人が今に生きる
そんな世界を想像してごらん

国境のない世界を想像してみよう
決して難しいことじゃない
人を殺めることも
なにかのために死ぬこともない
宗教だってそうさ

想像してごらん
平和に生きる僕たちの姿を
君は僕のことを夢想家だと言うかもしれないが
僕だけのことじゃないさ
いつの日か君も仲間に加わり
世界がひとつになるといい

すべてを分かち合う世界に
君もついてくるかい
貪欲さや飢饉の存在しない
人類結束のことさ

想像してごらん
みんなですべてを分かち合う世界を
君は僕のことを夢想家だというかもしれないが
僕だけのことじゃないさ
いつの日か君も仲間に加わり
世界はひとつになるだろう

Rap, Reggae and the Blues

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ニューヨーク市のブロンクス地区で生れたとされるラップミュージックはジャマイカンレゲェの「トースティング」という、言葉をビートにのせて喋るように歌う歌唱法をルーツに持つ。70年代当時のジャマイカ人が日本製の安いキーボード(カシオ製やサンヨー製)を学校の音楽教室などから手に入れ、クラブやダンスホールでそれらのキーボードに内蔵されたリズムマシンに合わせてレゲェを歌っていたのがニューヨークに飛び火してラップになったとされている。まぁ、しかし、ラップの祖先はたしかにレゲェかもしれないが、僕はラップミュージックのアメリカ文化における位置づけは、むしろブルーズの流れをくむアメリカ最貧困層の、時に楽しく、時にもの悲しく、そして時に殊更美しいアメリカ独自の音楽文化、抒情詩文化だと考えている。(写真:J Dilla)

Narrative Style

文体とは文のスタイルのことだけでなく、言葉を使って物事を考える姿勢、つまり知的アチチュ─ドのことでもある。戦後の日本のある意味自由で知的で洗練された空気や物の考え方は大きくその時代の小説家、 随筆家や文化人の文体、そしてその文体が象徴する物の見方や捉え方、そしてさらに文体のアチチュ─ドや美的感覚に擬えて形成されたものである。(Art by Miki Takahashi) 

Puzzle

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僕が翻訳に挑むときはパズルを解くような心境である。ただし、正解はひとつとは限らないし、訳文は時代や状況に応じて変化すべきだと思うし、僕はいつも自作の訳文を期間無限定で寝かせておいて、完成したものであろうと、より適切な訳やより原文に近い表現やより相応しい単語などがあればためらいなく差し替えることにしている。ネットの時代だからこそできることだが、時間を経て客観視できるようになった頃に編集を加えたり余計な表現を削ったりすると大概文は良くなるし、訳としても理屈の上では永遠に良くなり続けるわけだし、パズルの答えというか、適切で完璧なる訳文というものは必ず複数あると僕は確信している。(“Piet Mondrian Jigsaw Puzzle” by D.E. Stijl)

Apocrypha

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英語の”apocrypha”という言葉はキリスト教に関連する場合は「外典」と日本語に訳され 「がいてん」と発音されるが 、 同じ言葉が仏教に関連する場合は同様に「外典」と訳されるものの、「げてん」、もしくは「とつふみ」と読む。 簡単に言うと、いずれも出典や真偽の疑わしい風説や文書を意味するが、ここであえて横槍を入れると、もともと英語の”apocrypha”、日本語の「外典」は要するに異教の教えを意味し、具体的には、キリスト教の場合は聖書から外された文書のことを指し、仏教でこの言葉が使用される場合は仏教以外の教え、つまり道教や儒教のことを指す。そして、ここで更に茶々を入れると、言葉というものはいつも多分に政治的で、本質的にはその言葉を発する目的や用途に倣うものである。(Art: “Hygieia” by Gustav Klimt)

Interpreters

翻訳業はさておき、今の世の中、 通訳者が全然足りていない。日本語から英語、英語から中国語、中国語からスワヒリ語といった通訳ばかりでなく、若年層と老人層、 貧困層と富裕層、あるいは音楽の世界ならばクラシック好きとレゲエ好き、銀幕世界ならカサヴェティス派とフェリ─二派、スパイク・リ─派、企業なら営業部と技術系、デザイナ─などの言葉やアイデアを満遍なく分かりやすく全方面に伝え、ある種の文化的共通項、そして交流の接点となり、次なるヴィジョンを皆で語りやすくするために、今どきの多様な社会ではもっと多くの通訳者が必要とされているのではないか。 僕はそう思う。(Art by: Marc Chagall)

Lyrics

僕は高校生時分後半の頃、東京は杉並区の方南町に当時ビジネスマンをやっていたアメリカ人の父親と住んでいたことがあって、通学に乗り換えの多い丸ノ内線の駅を利用して世田谷にある学校へ行く代わりに、井の頭線のある明大前、あるいは永福町の駅まで歩いてそこから井の頭線で渋谷まで出て、授業前に新聞配達のアルバイトや地域のボランテイア活動に励んでいた。というのは勿論冗談で、実は当時の僕は宮益坂付近の音楽雑誌社やそういう関係のプロダクションに出入りしては、日本のロックやレゲェ、ヘヴィメタル、その頃流行りのヴィジュアル系、パンクやハードコア、ヒップホップ、ジャズ、フォーク、そして更に現代音楽や前衛音楽などの英語のパートの歌詞を書く、あるいは翻訳するというアルバイトをしていた。原宿や目黒のレコーディング・スタジオで、歌手がそのパートを英語で歌いやすいように、そしてきっちりその曲のその場面で収まるように歌詞を書き換えるのも、今思うと僕の翻訳やライティングスキルを高める良い勉強になったし、その頃はまだ高校生だったのでやはり仕上がったアルバムに名前が載るのが非常に嬉しかった。若さゆえよくプロデューサーやバンドメンバーに色々からかわれたものだけど、いつもアルバムクレジットなどに載る名前が名字や敬称を抜いてただ「エリック」とされていたのもある種の人徳ではないかと、僕は自分にとって相当に懐かしい平成初期の日本の音楽シーン、そしてあの頃の東京を振り返るのです。